誰が最初に言ったかよくわかりませんが、とにかく「読書の秋」です。
何か読みたいと考えている方は、三浦綾子著『光あるうちに』なんていかがでしょうか。
「自由の意義」
「性欲からも、金銭欲からも、名誉欲からも、全く自由でなければ、わたしたちは忽(たちま)ち、恋のとりこ、肉欲のとりこ、名誉欲のとりことなってしまうにちがいない。とりことは捕虜のことだ。捕虜には自由がないこと無論である。」
(『光あるうちに』三浦綾子、新潮社、1982、71-72頁)
欲そのものが悪いとは、著者も聖書も言いません。むしろなくてはならぬもの。でも「自由」な恋愛や「自由」な生き方を求めていたはずが、気づけば恋愛、性欲、お金、名誉欲の「奴隷」になっていないか。それが自分の、今の生きづらさに影響しているのではないか。
こんな鋭い言葉も。
「近頃、フリーセックスとかいって、性の自由を人々は謳歌している。が、何がフリーなものであろう。これは、セックスに異常なまでに溺れた弱い人間の姿だ。しばりつけられている姿だ。自由なつもりで、セックスの奴隷になっているのだ。セックスにふり廻されている奴隷。奴隷とは居住の自由もなく、好きな職に就くこともできぬ下僕である。セックスにしばりつけられ、セックスからのがれることのできない奴隷が、フリーセックスなどというのは、まことに滑稽である」(同書、69頁)
「フリー」と言いながら、その実態は「のがれることのできない奴隷」。ふむふむ。
では、「真の自由」とは。。。
この秋、自由や聖書についてのあれこれを、名著から思索してみてはいかがでしょう。